批判的進歩主義的歴史観

僕の基本スタイルです。

進歩主義は戦前に終わったはずだったのに。
感覚としてヨーロッパは、世界における進歩主義からは少し路線をはずして、国民全体を1として、独自路線で幸福を模索している気がする。これを保守的だと言われればそうかもしれないけど、世界の中の地域主義という文脈で考えれそうな気もする。
いろんなコンテクストが同時多発的に誕生して、それを必要以上に総合せずに、1だと考えることができれば、個人の選択肢は増え、それが幸福な状態だと言えないだろうか。
この見方をすると、日本のメディアが伝える北朝鮮もある人によって幸福になり得るだろう。ま、自分はそうは思わないけどね。

そんな考え方が、歴史学では当たり前のようで。ボードレールのモダニズムはそれを時間軸上で語っていたのかなと、思弁。 でも、空間軸上ではおそらく戦後から当たり前の考え方に。。。なってたはずなんだけど。

どうも自民党にしても民主党にしてもそうではない感じも。
進歩主義万歳。もしくは現状を過去よりも進歩したと捉える感覚。

一方で、ドラマ「不毛地帯」なんかが今放送されることを思うと、マスにますますプロパガンダしているようにも思う。戦後復興をふりかえれ!あのときわれわれは進歩した!的な。
懐古主義

でも、おもしろいから毎週見てます。

この懐古主義も、過去を省みているというよりも、過去の精神論を現在の進歩主義に導入しろと言っているような。そりゃ、現在の政治経済を導いているのは、戦後復興とバブルを体験したひとたちだからね。

きっと、あの頃は、よかったんでしょう。
でも、今の世代としてはいい迷惑。僕らは僕らで生きていきたい。
「もはや戦後ではない」とだれかがうんと昔に言ったけど、自分が思うにまだ戦後。

と、根拠を示さない垂れ流し発言をしてみる。まぁ、メモです。

でも、だから、大学に進学して就職することを進歩だとは思わない。
もうちょっと別の考え方、とらえ方をしてみたいと思う今日この頃。

でもそういう僕も進歩主義傘下。 あ〜悲しい。
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蛇足日記自信

自信がない。
いつから自信がなくなったのだろう。

確かに自信満々であった時期はないし、そうなりたいとも思わない。むしろなりたくない。

でも、最低限社会で生きていくためには、自信が必要かなと。
「自信は無いけどやってみる」「これができたら自信つくかも」という自信くらいないとどうにもならない。

最近はそのミニマムな自信すらないのが本当に辛い。
そう、こうなったのはいつからだろう。

彼の国に、それを全部忘れてきた気がする。
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ドミニク・ペロー講演会

10月29日、 大阪は宝塚造形大学梅田キャンパスにて、フランス人建築家ドミニク・ペローの講演会がありました。

大阪駅前に富国生命のビルを設計していることから、安藤財団によって招待されたらしい。

テーマは「大地と建築」だったかな?うる覚え。
すなわち、ある地域、都市、国、もしくは、場所、地球に、建築するとはどういうことか。建築することで、建築物はそれらとどのような関係を結ぶのか、また何が生まれるのか。

ま、なんか大きく書いてしまいましたが、ペローの言うところ、例えば、ルクセンブルクのEU裁判所の場合、 ルクセンブルクという小国、ルクセンブルクという場所、ルクセンブルクという政治的位置、EUという多国籍集合体という様々な条件がある基で、裁判所はルクセンブルクに対しても、EUに対しても、それらのアイデンティティを包括するような象徴であるということ。それが建築物として形になったときに、その形が、周囲の人々(利用者はもちろん、建物を見る人も)に、そのアイデンティティをマニフェストできているか、ということ。

韓国理科女子大学の場合は、もう少し具体的。建設前は、都市の中の大学という場所は、女子大ということもあり閉鎖的だった。また大学から都市へのアプローチも、目に見える道のようなものがなく、ただ大学があるという感じでしかなかった。
しかし、都市に向けて、大学から直線的な建物をつくることで、大学と都市がその直線という道でつながれる。設計した建物は、大学の施設と公共空間というふたつの機能を介在し、都市から大学へ、大学から都市へと積極的なアプローチがなされると同時に、その場所は出会いや語らいの場所となり、新たな何かが生まれる場所となる。
地下に建物があるので、都市から見ると、公園のように見え入りやすい。大学施設の講義教室以外の機能、たとえば、図書館や映画館、事務施設などが入るので、一般人から利用しやすい。

もうひとつはマドリッドのテニス場。あまり裕福ではない土地に建てられた、国際大会もできるテニス城。その土地に、公共性の強いものをおくことで、現地を活性化させる。一般市民もプロ選手も使えることから、スポーツと場所を通して、その市民に元気を与える方法は、なるほどなと思った。


その中で、質問時間に、「透明性」についての質問があった。マドリッドの場合、金属でつくられた格子状の壁(?)は、遠くからみると透過性があるように見える。
これに対してのペローの回答がおもしろかった。
建築で「透明性」とはよく議論され、何とも定義しがたい言葉のようでもある。心理的、社会的なメタな透明性と解釈される場合もあれば、視覚的、触覚的に透明と解釈される場合もある。
どちらにせよ、外部から身を守るはずの建築物に「透明」という言葉は何とも不一致で、そこがまた「透明性」という言葉に魅力を持たせる要因なのだろう。
で、ペローは、少なくとも、彼のつくった金属の格子は「透明」ではないとのこと。だが「不透明」ですというわけでもない。「透明、不透明という概念で語られるものではない」という意味。
格子が光や空気を通し、また遠くから内部が見えるのは透明だからではなく、穴があいているからだ。金属部分は金属で不透過。その間は、何もないから、透過されて当然。
つまり、ペローにとっての透明であるためには、そこに人為的におかれる透明な物質がなくてはならないということだろう。穴があいている、その穴には何もないのだから、透明とか不透明とかではないということ。
物を具体的に扱う作家ならではの考えただと思ったし、当たり前のようだが納得させられる。建築はとくに社会性が強く、人が利用する。メタな解釈で、学問的意義を強めたところで、良いか悪いかはやはり建築物として利用されてこそということなのだろう。だから、机上で語られる透明性よりも、モノに現れる具体的な透明性にこそ、建築の上で考える意義があるというのがペローのスタンスなのかなと思った。

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蛇足日記停滞

何もやる気でん。

論文も、まったく進まないし、書きたくもない。

バイトもサボちゃった。

昼まで寝たし。


タバコ吸いながら、テレビ見て、今日も終わる。


でも、ウンコだけはしっかり出てます。


脱出したい。あうあうあ〜
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蛇足日記 逃げ道はマンガ

「蛇足日記 その○」を、きちんとタイトルをつけたものに変更。
あとで見返すときに、番号だとわかりにくい。と言っても、ただ気持ちを書き連ねるだけのときもあるから、そういうときは、むしろ数字の方が好ましいようにも思う。


大学院へは、JRと阪急を利用する。阪急に乗り換える途中に本屋があるため、マンガや雑誌、売れ筋の本などをチェックする。

最近はレンタルマンガに頼っているので、あまりマンガを買うことがなくなったけど、それでもワンピースが出ると買ってしまう。


小さい頃は、月のお小遣いが500円で、月に1冊ドラゴンボールを買いためていくのが楽しみだった。ある程度自由のきくお金を持った今は、当時ほどの我慢をせずに買えてしまう。幸せなことなのか、でも少し楽しみが薄れているのかもしれない。

ワンピースは自分が中学時代に連載がスタート。授業中、机の下で回し読みをしていた。塾でのバイトを経験し、大学で小さな授業を持つ今になってわかることだが、なんてバレバレなことをしていたのだろう。当時はバレていなかったのではなく、先生が見逃してくれていたのだろう。

高3の時の担任がよく言っていた
「尊敬する人は、ドラゴンボールの孫悟空」

大学院で実存学を学びながら高校教師をしていた現代国語の先生。しかもある程度進学校。そんな先生の口からマンガのキャラクターが出てくるとは驚きだった。生徒にわかりやすい形で、目指す人間象を説明してくれていたのかもしれないが、でもきっとマンガが持つ魅力や価値に気がついていたのだろう。

中学時代のワンピース回し読み以降、しばらくマンガから離れる。大学卒業近くになって後輩からワンピースを進められ再読し始める。そのときですでに40巻近くまでいっていたのかな。
おもしろい。

そして、それ以来読み続けている。

パリでも、日本のマンガが売ってる店に行って読んでた。


ワンピースというマンガは、実はあまり大きな受賞歴がない。それでも、多くの人気マンガランキングで上位につける。
最近、大学院と京都国際マンガミュージアムとのシンポジウムに参加した。そのとき、言われたことだから、クラシックとなるマンガ(たとえば手塚治)とか、政治性、社会性、芸術性が強いマンガが、良いマンガであったとしても、それが必ずしも、購読数が多いとも限らない。またワンピースのような人気マンガでも、作者の名前を言える人はそれほど多くない場合がある。

マンガは、その時々に、消費されるように読まれる。でも、その消費活動内には、明らかに読者に印象を植え付けている。

良いマンガの定義は困難だが、人気のあるマンガとは、そういうものだと。

ワンピースは、いわゆる冒険物だ。ジャンプコミックスなので、少年対象と言える。単純に、ワクワクする冒険を楽しむ、敵との格闘に興奮することはできる。ただこの年になってもひきこまれているわけで、そこには、何か自分が求めている言葉にできない憧れやエスプリ、また自分が理想とする物事の本質みたいなものが描かれているように感じる。

だから、自分は、ワンピースのルフィーに憧れる。
先生の孫悟空も同じだったのだろう。

そこには、「マンガなのに」というものはもはや無い。表現物すべてに共通する、形式と内容の向こう側にある何かがきっとあるのだろう。

とりあえず、新巻でのルフィーの活躍を見て、自分もがんばろうと思う。
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