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蛇足日記かっこいい生活

「かっこいい生活」というのを意識しだすようになってます。
いつごろからだろう、少なくともここ3年以内くらい。
たぶん、デザインという言葉をきちんと知り始めてからだと思う。

流行を追いかけたり、もてはやされたりする生活を「かっこいい生活」と言うのではない。

自分のやりたいこと、やらなければいけないことなどなどを、きちんとできている生活を「かっこいい生活」と言っているのだろう。


すわなち、やることが生活の中でデザインされているかといことだと思う。

ある目標値や期待値にまで、時間や場所をきちんと定めて毎日をすごして、達成し、それを継続できているか。

それはミクロな部分からマクロな部分まで大きくあると思う。

「予定が入ったら手帳にきちんと書く」
きちんと読みやすく書く、毎日手にとるためにお気に入りの手帳を使う、

これがミクロなら、マクロは一年の計画から一生の計画、なんなら地球規模、宇宙規模の計画。


ただ今の時点で、こういう生活は、毎秒毎秒を予定というもので自分を束縛してしまっているようにも感じてしまう。

ダラリとまでは言わないまでも、なんか空虚的な自由な部分があるということはどうなんだろう。


とりあえず、ダイエットしなきゃな。
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批判的進歩主義的歴史観

僕の基本スタイルです。

進歩主義は戦前に終わったはずだったのに。
感覚としてヨーロッパは、世界における進歩主義からは少し路線をはずして、国民全体を1として、独自路線で幸福を模索している気がする。これを保守的だと言われればそうかもしれないけど、世界の中の地域主義という文脈で考えれそうな気もする。
いろんなコンテクストが同時多発的に誕生して、それを必要以上に総合せずに、1だと考えることができれば、個人の選択肢は増え、それが幸福な状態だと言えないだろうか。
この見方をすると、日本のメディアが伝える北朝鮮もある人によって幸福になり得るだろう。ま、自分はそうは思わないけどね。

そんな考え方が、歴史学では当たり前のようで。ボードレールのモダニズムはそれを時間軸上で語っていたのかなと、思弁。 でも、空間軸上ではおそらく戦後から当たり前の考え方に。。。なってたはずなんだけど。

どうも自民党にしても民主党にしてもそうではない感じも。
進歩主義万歳。もしくは現状を過去よりも進歩したと捉える感覚。

一方で、ドラマ「不毛地帯」なんかが今放送されることを思うと、マスにますますプロパガンダしているようにも思う。戦後復興をふりかえれ!あのときわれわれは進歩した!的な。
懐古主義

でも、おもしろいから毎週見てます。

この懐古主義も、過去を省みているというよりも、過去の精神論を現在の進歩主義に導入しろと言っているような。そりゃ、現在の政治経済を導いているのは、戦後復興とバブルを体験したひとたちだからね。

きっと、あの頃は、よかったんでしょう。
でも、今の世代としてはいい迷惑。僕らは僕らで生きていきたい。
「もはや戦後ではない」とだれかがうんと昔に言ったけど、自分が思うにまだ戦後。

と、根拠を示さない垂れ流し発言をしてみる。まぁ、メモです。

でも、だから、大学に進学して就職することを進歩だとは思わない。
もうちょっと別の考え方、とらえ方をしてみたいと思う今日この頃。

でもそういう僕も進歩主義傘下。 あ〜悲しい。
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蛇足日記自信

自信がない。
いつから自信がなくなったのだろう。

確かに自信満々であった時期はないし、そうなりたいとも思わない。むしろなりたくない。

でも、最低限社会で生きていくためには、自信が必要かなと。
「自信は無いけどやってみる」「これができたら自信つくかも」という自信くらいないとどうにもならない。

最近はそのミニマムな自信すらないのが本当に辛い。
そう、こうなったのはいつからだろう。

彼の国に、それを全部忘れてきた気がする。
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ドミニク・ペロー講演会

10月29日、 大阪は宝塚造形大学梅田キャンパスにて、フランス人建築家ドミニク・ペローの講演会がありました。

大阪駅前に富国生命のビルを設計していることから、安藤財団によって招待されたらしい。

テーマは「大地と建築」だったかな?うる覚え。
すなわち、ある地域、都市、国、もしくは、場所、地球に、建築するとはどういうことか。建築することで、建築物はそれらとどのような関係を結ぶのか、また何が生まれるのか。

ま、なんか大きく書いてしまいましたが、ペローの言うところ、例えば、ルクセンブルクのEU裁判所の場合、 ルクセンブルクという小国、ルクセンブルクという場所、ルクセンブルクという政治的位置、EUという多国籍集合体という様々な条件がある基で、裁判所はルクセンブルクに対しても、EUに対しても、それらのアイデンティティを包括するような象徴であるということ。それが建築物として形になったときに、その形が、周囲の人々(利用者はもちろん、建物を見る人も)に、そのアイデンティティをマニフェストできているか、ということ。

韓国理科女子大学の場合は、もう少し具体的。建設前は、都市の中の大学という場所は、女子大ということもあり閉鎖的だった。また大学から都市へのアプローチも、目に見える道のようなものがなく、ただ大学があるという感じでしかなかった。
しかし、都市に向けて、大学から直線的な建物をつくることで、大学と都市がその直線という道でつながれる。設計した建物は、大学の施設と公共空間というふたつの機能を介在し、都市から大学へ、大学から都市へと積極的なアプローチがなされると同時に、その場所は出会いや語らいの場所となり、新たな何かが生まれる場所となる。
地下に建物があるので、都市から見ると、公園のように見え入りやすい。大学施設の講義教室以外の機能、たとえば、図書館や映画館、事務施設などが入るので、一般人から利用しやすい。

もうひとつはマドリッドのテニス場。あまり裕福ではない土地に建てられた、国際大会もできるテニス城。その土地に、公共性の強いものをおくことで、現地を活性化させる。一般市民もプロ選手も使えることから、スポーツと場所を通して、その市民に元気を与える方法は、なるほどなと思った。


その中で、質問時間に、「透明性」についての質問があった。マドリッドの場合、金属でつくられた格子状の壁(?)は、遠くからみると透過性があるように見える。
これに対してのペローの回答がおもしろかった。
建築で「透明性」とはよく議論され、何とも定義しがたい言葉のようでもある。心理的、社会的なメタな透明性と解釈される場合もあれば、視覚的、触覚的に透明と解釈される場合もある。
どちらにせよ、外部から身を守るはずの建築物に「透明」という言葉は何とも不一致で、そこがまた「透明性」という言葉に魅力を持たせる要因なのだろう。
で、ペローは、少なくとも、彼のつくった金属の格子は「透明」ではないとのこと。だが「不透明」ですというわけでもない。「透明、不透明という概念で語られるものではない」という意味。
格子が光や空気を通し、また遠くから内部が見えるのは透明だからではなく、穴があいているからだ。金属部分は金属で不透過。その間は、何もないから、透過されて当然。
つまり、ペローにとっての透明であるためには、そこに人為的におかれる透明な物質がなくてはならないということだろう。穴があいている、その穴には何もないのだから、透明とか不透明とかではないということ。
物を具体的に扱う作家ならではの考えただと思ったし、当たり前のようだが納得させられる。建築はとくに社会性が強く、人が利用する。メタな解釈で、学問的意義を強めたところで、良いか悪いかはやはり建築物として利用されてこそということなのだろう。だから、机上で語られる透明性よりも、モノに現れる具体的な透明性にこそ、建築の上で考える意義があるというのがペローのスタンスなのかなと思った。

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蛇足日記停滞

何もやる気でん。

論文も、まったく進まないし、書きたくもない。

バイトもサボちゃった。

昼まで寝たし。


タバコ吸いながら、テレビ見て、今日も終わる。


でも、ウンコだけはしっかり出てます。


脱出したい。あうあうあ〜
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